谷寛窯

SINCE
1806 - 2021

古くは幕末に生まれ
信楽特有の青藍 「海鼠釉」創出した初代谷井直方に始まる

NAOKATA TANII I (1806-1891) STUDIED KOKUGAKU (JAPANESE LITERATURE)
AND WAKA POETRY UNDER HIROTSUNA SASAKI,
AND PRODUCED SHIGARAKI WARE WITH HIS OWN WAKA POEMS.

OUR HISTORY

谷寛窯の歴史は直方により、明治に始まる

谷寛窯の初代、谷井直方(1806-1891)は、佐々木弘綱に国学や和歌を学び、
家業の信楽焼に自詠の和歌をそえた茶器などを制作。
明治初期には「海鼠釉」を研究・完成させると信楽の地に広めました。
当時、多くの窯元が手がけていた「ナマコ釉火鉢」生産の礎をつくり、
信楽焼の発展に貢献したのもこの直方です。

「直方の雅友は歌人の蓮月尼 茶陶に和歌をしるし給いき*」この一首を詠んだのは、
幕末の京に生きた蓮月尼で「歌、書、陶作」を愛した風雅の女人でした。

直方は茶陶を「登り窯」から出すと、草履ばきで東山の蓮月尼庵に届け、
逸作には蓮月尼自らが歌と書を記したそうです。
その系譜の中、昭和の初めには谷井眞方(しんぽう)が、現在の「谷寛窯」を創設。
さらに二代目信山(しんざん)、
現在の芳山(ほうざん)へと
伝統と革新が受け継がれています。
※(二代目 妻、谷井かつこ「穴窯の炎」より)

直方の雅友は歌人の蓮月尼 
茶陶に和歌をしるし給いき

Naokata's elegant friend, the poet Rengetsu wrote tanka on tea utensils.
FOUNDED IN
THE SHOWA PERIOD

昭和初期 眞方が谷寛製陶所を創設

谷井直方から引き継ぎ四代目の谷井眞方の世代で分家、
そこから現在の「谷寛窯」を眞方が初代として創設した。
その後、二代目信山、そして芳山へと伝統と革新が受け継がれています。

  • 1900−1979
  • 1905−1978
  • 1927−1999
  • 1953−
  • 谷井 眞方
    /Shinpo Tanii
    1900−1979

    初代谷寛製陶所、当主。登り窯で抹茶碗、煎茶器、花入れなどを作る。温厚な人柄であったため、やさしい作品が多い。火鉢で手をあぶりながら書をかいていたが、かなりの達筆であったことが伺える。

  • 谷井 直女
    /Naojo Tanii
    1905−1978

    眞方の妻。三男二女を育てながら、寝る間も惜しんで家業を切り盛りした。忙しい中でも、時間があれば土を触り、いくつかの作品を残しているが、中でも赤薬の抹茶碗は素晴らしい出来栄えである。

  • 谷井 信山
    /Shinzan Tanii
    1927−1999

    二代目谷寛製陶所、当主。南蛮手、荒土焼締など独自の技法を考案し創作する。主に花瓶を作り地元の問屋さんに渡していたが、一品ものも残っている。練込み抹茶碗、イラボ釉抹茶碗、天目釉抹茶碗などがある。

  • 谷井 芳山
    /Hozan Tanii
    1953−

    1953年生まれ。奈良県五條市出身。1983年三代目谷寛窯を継承。芳山と号す。(東大寺別當、上司永慶氏命名)1992年夢工房を設立し、若手陶芸家の育成する傍ら、奈良、京都、横浜、東京等のギャラリーで個展を開催する。

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