67

初代谷井直方(1806-1891)は、佐々木弘綱に国学や和歌を学び、家業の信楽焼に自詠の和歌をそえた茶器などをつくりました。そして明治初期には「海鼠釉」を研究、完成させて信楽に広く開放し、当時多くの窯元が手がけた「ナマコ釉火鉢」の生産の礎をつくり、信楽焼の発展に貢献しました。

「直方の雅友は歌人の蓮月尼 茶陶に和歌をしるし給いき」
(二代目 妻、谷井かつこ「穴窯の炎」より)

この一首は、幕末の京に生きた蓮月尼で「歌、書、陶作」を愛した風雅の女人でした。初代直方は茶陶を「登り窯」から出すと、草履ばきで東山の蓮月尼庵に届け、逸作には蓮月尼自らが歌と書をしるしました。その系譜の中、昭和の初めに谷井眞方(しんぽう)が、現在の「谷寛窯」を創設し、二代目信山(しんざん)、そして現在芳山(ほうざん)に伝統と革新が受け継がれています。

68
69

谷井直方から引き継ぎ四代目の谷井眞方の世代で分家、そこから現在の「谷寛窯」を眞方が初代として創設した。
その後、二代目信山、そして芳山へと伝統と革新が受け継がれています。

73
72
71
70
23
91

谷寛窯三代目当主。ガス窯、電気窯、穴窯、オーク窯など数種の窯を使い分け制作。
信楽に受け継がれてきた伝統工芸の手作業の技を守りながら、時代のニーズに合わせた新しい作品を提案しています

34